音楽と風景

音楽には風景がある。これは半年くらい前から思っていることだ。ある曲を聴くと、その曲が持っている情景、はたまた過去に自分が見てきた風景とリンクする瞬間がある。今まで見たこともないその曲だけが持っている風景を見せてくれる、そんな曲も好きなものだ。しかし、過去に自分が見てきた風景、言ってしまえば過去の自分を思い返させてくれる曲も貴重だったりする。

 というのも、なんかふと過去に自分が聴いていた音楽が聴きたくなって聴いている。中学生になってから音楽というものを聴き始めた自分であるが、当時の曲を聴くと自然と歌詞を口ずさんでいる。聴き込んだ証であろう。しかし、同時にその曲を聴いていたときの(瞬間というよりは時期)友達との会話、学校の風景、考えていたこと、それらも湧き出てくる。当時は自分たちが思春期だとか言われてもそんな実感なんてなかった。しかし、この曲たちと同時に奏でられる自分たちを振り返ると、何とも言い難い雰囲気の中で過ごしていたのだななんて思ったりする。狭い世界の規律、友達の顔色、怖い先輩達。果てしてそれがどれほどの意味を持つのか、現時点ならそんなことが言えるが、当時の自分たちにとってはそれが世界だった。しかし、そんな中でも共にバカなことをして、笑って、笑って、笑い合う、友人達とのやり取りは、鮮明なものばかりではないが、良い記憶として残っている。

当時聞いていた音楽がその記憶を突くから音楽は過去を思い出させてくれるのだと思うが、それじゃつまらないから、音楽は自分の過去を奏でるなんて表現を使いたい。そして、ふと聴きたくなって、聴いているのは本当なのだが、もう一つ理由があったりする。次の日曜日が成人式で中学生のクラスで集まるのだ。それを前に、あのとき聴いていた音楽を聴いてみたら面白そうだな、なんて感じで聴いている。自分は音楽をパソコンで聴くのだが、そのフォルダの更新日時が2008年とか記録されていて、正直古さを感じている。でも、なんだろうそれ以上に中学生のときが昔に感じられる。それだけ濃密な時間だったのであろう。そんな時期を過ごした友人達が、どんな姿になっているか、懐かしさよりも気になっている。そして友人達が反対に自分を見てどんな風に思ってくれるか。2年前から、人生について悩み始めて、それに伴い自分の考えも180度変わり、自分で自分の変化を自覚できるくらい変わった自分だが、それを見て彼らはなんて思うか。別にどう思われようと気にしないし、正直変わりすぎてなんか違うとか思われるかもしれない。でも、あの当時、共に笑いあった仲間なら、「お前、成長したな」なんて言ってくれるに違いない。それほど自分は彼らを信用しているし、反対に自分も「お前、成長したな。うれしいよ」なんて言えれば良い。そして、また一歩成長した形でお互いを認識し合えるようになれば、同じ曲を聴き返したとき、違った風景が見えるかもしれないし、やっぱりあの時の風景は特別で塗り替えられることはないかもしれない。おそらく後者の方になるのではないかと思う。だからこそ、時には過去に聴いていた曲を聴いたりして、その貴重な風景を感じたい。