過去は偉大なものである。

この成人の日を含む3連休は、成人を迎えた者達にとって、現在から過去へ線が結ばれるものであったに違いない。久しぶりに会う友を前に、自分・相手が成長していようとも関わり方は過去と同じものであった。現在のお互いを認識しつつも、過去の記憶を辿り、昔と同じように―。

しかし、真逆のことも同時に起きていた。昔はほとんど関わらなかったのに、同窓会の場に際して、なんかいい感じの関係になると。別に同窓会は過去のものでなく、そこから、これからを創っていく存在に思えた。そして、今までよりもこの人と関わっていきたいと思える人が増えた。それは、高校よりも中学の人達の方が。小さいときから知っている方が、すごい居心地が良い。なんか「過去」というものに、重み付けが存在して、中学が一番重いように感じた。

結局その日は朝まで遊んで、始発の次の電車に乗って帰った。そのころ、ちょうど夜が明けるときであった。だんだん、明るくなっていく空。どうせ、また今日の終わりにはまた、日が沈む。それは明日も昨日も同じ。5年間なんて、5年間分、日が昇って、火が沈むのを繰り返しただけである。しかし、それによって、5年前のメンバーが最高だなんて。過去は偉大なものではないか。となると、日が昇って、火が沈むことによって、過去の重みづけは大きくなっていくのではないか。だとしたら、今日という一日は未来のある日から見た、重み付けの開始である。だとしたら、どう考えたって、重くしたい。だって、未来のある日に過去が偉大だって思えるから。