オイラーの脳は掌に?

今日、近所の老夫婦が営む、お肉屋に行ったときのお話。(タイトルは大数学者レオハント・オイラーは8桁×8桁の掛け算を暗算で2秒で行っていたことに因んで。)

いつも買っている肉団子が、今日は作ってないということなので、1個100円のメンツカツと串カツを購入。2つ合わせて200円+消費税で216円とのこと。ここまでは何ともない。問題はここから。お財布の中身を見ると、500玉1枚と100玉1枚と50玉1枚と10玉1枚とその他小さい額ものがちらほら。ああ、良い感じに支払えないなと。一瞬、頭の中に500玉1つと10玉1つと1玉1つが思い浮かんだが、これでは、お釣りの下2ケタが95円になるととっさに判断。なんか、最適な気もしないが500円1枚で払うよりも、良いだろうと500玉1枚と50玉1枚と1玉1枚で支払。自分でも何円おつりが返ってくるかピンときていないが、大丈夫だろうと思っていた。しかし!どうも、お金を渡した、おじいさんの様子がおかしい。その店では老夫婦のどちらかが買った商品をレジに打ち込んで、それらの合計金額が記入されたレシートをお客に見せて、お金を受け取るという仕組み。すなわち、受け取ったお金をレジに打ち込んでおつりが何円かという計算は人間によって行われるものであった。そのため、おじいさんが何円、お客に返せば良いか、ブツブツ言いながら、計算していた。とっさに、自分も計算しないとまずそうだなと思い、計算しようとしたが、なんか頭が回らない。じゃあ、受け取ったお釣りの金額と購入した商品の金額の216円を足して551円になるか確かめようと方針転換。そんなことを考えているうちにおじいさんがレジから離れてきて「はい、245円」と。まだ計算が終わっていないが、とりあえず、いつもの様に「ありがとうございました」と言って、振り返り店を出ようとしたが、なんかおかしい。なんか、商品の値段の3桁目とお釣りの3桁目を足し合わせて1足りない気がした。でも、自分でもお釣りが何円か分かっていないのに、立ち止まるものかっこわるいなと思い、ゆっくり店の外へ。うん、おかしい。ポケットから携帯電話を取り出し551-216と打ち込む。335とディスプレイに。うーん・・・あまりにも間違い過ぎではないか。店に戻ろうとしたが、店の外に一度出てしまったら、負け。店に戻って「おつり違いますよ!」と言っても、外に出てからでは、明らかに怪しい。そんなこと思わず、「お金もやり取りだぞ!」と心に決め、店に戻れば良いのかもしれないが、そういうたちではない。そんなこと考え込んでいたら、お釣りが何円返ってくるか分からないで、お金を支払った自分にも非があるような。いや、551円払えば良い感じにお釣りが返ってくるのではないかと判断した直観は正しかったと思う。しかし、その後の、では何円返ってくるのかと計算できなかった理性が甘かった。加え、少し複雑な計算はおじいさんに任せるのではなく若い自分がすべきであった。仮にも、私は大学にて数学とコンピュータを学ぶ者である。オイラーの偉大さを8桁×8桁の掛け算を暗算でかつ2秒で行うだけで定義したら、電卓を掌に持っている現代人はオイラーの脳を掌に持っているのと同じだ!と考えている自分にとっては、3桁-3桁の計算を電卓に任せていることに、情けなさを感じていた。

とはいっても、脳内の素早い計算を行う場所は、いつも勉強するときに使う場所とは違うんだよなーと、お釣が90円足りなったことに対する嘆きだか、素早く計算できなかったことに対する言い訳だか分からないことを考えながら帰路に着くのであった。